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本改訂にあたり、第二章の名称を「悟達」から「自解仏乗」に変更し大幅に補筆した。本来「悟達」と名づけた章は、第二章「悟達」から第九章「人法一箇の御本尊」にわたるものであった。しかしながらそのままでは「悟達」を冠する章が長くなるので、それを分けて第二章から第九章までにしたのである。
したがって改訂前の第二章「悟達」の章は、第二章から第九章「人法一箇の御本尊」に至る序章としての意味合いが強く、章の名を充分に満足させるものではなかった。このたび改訂するにあたって、第二章の題名を「悟達」から「自解仏乗」と変え、清澄寺において十六歳で日蓮大聖人が自解仏乗されたということを法義の裏づけをもって論証した。
その他の章においても第二章の大幅な補筆を受け、表現を変えた箇所がある。加えて訂正をなした箇所がある。主な箇所は次のとおり。
①「虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて」の「高僧」を道善房であると解釈していたが、それは間違いであり、「虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて」との文全体が、日蓮大聖人の自解仏乗を「虚空蔵菩薩」に仮託された上での表現であると判断した。
②日蓮大聖人が叡山において授職灌頂をなされたものとの前提で記述をなした箇所があったが、その有無不明につき該当箇所を省いた。ただし日蓮大聖人は「清澄寺大衆中」等の記述により確認されるように、叡山における授職灌頂の模様について御存知であった。
③立宗の場面で、師・道善房を広義における僧宝と考え記述した部分があったが、師・道善房といえども度すべき衆生であると判断した。
④日蓮大聖人が塚原から一谷に配所替えになった時期について、二月騒動の急報がもたらされた文永九年二月十八日であると判断していたが、それを改め、同年二月二十日から三月十三日までの間とした。ただし、本間重連が日蓮大聖人の身柄の安堵を誰人かに頼んだのは二月十八日夜に島を立つまでの間であったと考えている。
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二〇〇六年十月